忍者ブログ
そうだねー記録だよねー

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

セーラーゾンビ

あけましておめでとうございます。

いきなりなんですけど、AKBの紅白選抜、なんとしーちゃんみおりんアカリンが上位16名に食い込んできましたね。最高でした。久々の痛快さ。これだからAKBヲタはやめられない。

しーちゃんの順位が映る画面を指さして喜ぶきたりえを見て、本当地方組っていいなあって思っちゃいました。よく考えれば地方組全員選抜にそろったよね。(さっしーきたりえしーちゃん)よかったなあ。生で見たかったなあ(仕事だから早々に寝たヤツ)

 

アカリンが女子力動画で2017年の抱負を語っていたので、私も語ってみようと思います。

 

・在宅ヲタを少し脱出する

NGT公演行きたい。てか新潟行きたい。AKBショップ行きたい。

 

・旅行する

今年もいろんなところ行きたい。北陸とか新潟とか四国とか。あとは白地図に過去の旅行先を埋める作業もしなければ…。

 

・自分磨きする

世間でいうブスなので、なんとかしたいです。マシなブスになりたいです。

でもこうやって自分磨きをしている横で、普通の人は結婚して子供出来てってやってるんだろうなって思うとダルい。本当です。頑張ります。

朝起きたらまほほん(NGT山口真帆)になっていないかなあ…

 

・野球見に行く

今年も月イチで行きたいゾゾタウンスタジアム。

 

・仕事をテキトーにやる

仕事をテキトーにやって出世したいです。どうやったらできるんですかね。

早く年収を目標値まで上げたいです。

未来が見えないからとりあえずお金なんです。

 

・株やる

金融関係のお勉強の一環。やろうとしてやってなかった2016年。

まずは自分の退職金の運用からですかね。

 

・貯金する

貯金金額を増やそうとして増やしていない2016年。

はい頑張ります。

 

・アカリンのフォトブックを買う

アカリンが2017年中にフォトブック出したいって抱負を語っていたので。

散々言っているでしょ、アカリンはNMBのこじはるだからもっと推しなさいよって!(スキャンダルあるけど!)

 

・料理頑張る

料理教室に通っている。あそこの空間はキラキラしていて、引きこもりコミュ障の自分にはちとツライものがある。が、戦わなければならない。

自分からは絶対に関わらないであろう空間にわざと関わって、会話力を鍛えるのだ。

お料理の腕も。

 

・知識を深める

なんでもいいので視野を広く持って、少しでも色々な知識を深めたいなあ

なんでもいいのですよ。なんでも。

拍手

PR

2016年まとめ

そろそろ2016年も終わりなんで今年をまとめます。

今年は人生で一番楽しかった一年だった。

ストレス殆どなく、好きなことを好きなだけやれた。

 

旅行はサンフランシスコ、山形、神戸、広島に行けた。

 

サンフランシスコは仕事の研修だったけれど、ほぼ観光だった。

某中島選手で有名なサクラメントにあるホテルに滞在して、
昼は買い物、夜は買ったジュースやお酒を楽しみながらみんなでワイワイ話し込む。
別な日には郊外のレストランに繰り出して大きなステーキを食べながら乾杯したり。

アメリカにしかないファストフード店に行ったり、
オーナーの趣味である日本庭園が広がるワイナリーに行ったりした。

サンフランシスコの中心街に移動してからは、
有名なゴールデンゲートブリッジやユニオンスクエアを見学。

アメリカの高速道路を走っている時、
あまりにも広大な道をものすごいスピードで行きかう車を見て私は
「よくもまあこんな国に戦争しかけたな…」と日本人らしい感想が浮かんできていた。

 


5月は山形!

日本列島ダーツの旅(日帰り圏内)で山形の米沢に当たったので行ってきました。

きつかったけど楽しかった!

上杉神社を目的地にして、道中でそばを食べて。
上杉神社を散策して、米沢牛や塩引き寿司をいただく。
リフレッシュした一日だった。

 

6月の神戸はNMBのみるきー卒コン。

実は2月にSKE全国ツアーの茨城公演がひたちなかで行われていて、
それで大箱?のコンサートにハマった在宅ヲタ。

元々ななちゃんの卒コンも行っていたし、
みるきー卒コンは絶対何が何でも行くって決めていたから、
日程が発表された瞬間休みと飛行機を確保。

夏の神戸は暑かったし飛行機は慣れないけれど、いい思い出が出来た。

 

8月の広島も実は研修。

しかしやっぱり遊びがメイン。

原爆ドーム周辺の見学をした後は、広島風お好み焼きを食べたりお土産を買ったり。

ポケモンGOもやりました。

二日目は厳島神社にも行きました。
自分がかねてから行きたい場所だったから、
2016年中に行けて本当によかった。絶景でした。

 

他は相変わらず東京や千葉をふらふらしていたんだけれど…
埼玉のイケヤにも行きましたな。
家具買って自分で作ったら腱鞘炎になった。

あ、横浜にも行った。
誕生日だったからホテルでディナー。
大人になったよ。


 

仕事も停滞しているようでなんだかんだで進んだんじゃないのかな。

(って昨日の一番の山場を越えて思った)

 

昨日一つ仕事で大きなミスをしたんだけれど(俗に言うひゅーまんえらー)、

間違えるのは仕方ないから、
それをどうカバーするかを普段から徹底して唱えていたから、
すぐ行動出来て良かった。


間違いに気づく→どうしよう、から少し固まっちゃったんだけど、
自分じゃどうしようもできないことに気づけたから、すぐ助けを呼べた。


おかげであまり大事にならなくて済んだ。


今までずっと一人で物事抱え込む癖あったし、
そうしろと教えられてきたけれど、
それはやっぱり間違いだって思った。


AKB
のなあちゃんのモバメを取っていて、
彼女もよく抱え込む癖あったんだけど、
モバメの中でファンに愚痴ったりしているのを見ていて、
こういう頼り方もあるんだなって思った。
他人を巻き込む…みたいな?



間違いをしないというのは絶対出来ないし、
間違いを起こしたとき、
それを責めるんじゃなくどうカバーするかが大事なんだと頭ではわかっていたけれど、
実行できた!って胸を張って言えるのはなかなか無かったと思う。

責めるのは誰でも出来るけれど、
それを許し、カバーするしてもらうっていうのは難しいと学んだよ。


カバーしてもらった人たちは、
普段逆に私がカバーするときもあった。
そういう積み重ねがなんとか事をうまく収めてくれたなって思った。

お互いがお互い様って思う気持ちは大事だねと改めて。

 


そんな感じで夕方に一息ついていたら、まさかの元上司登場。

しかもユニクロの黒のMA-1着てるし。
おそろっちだし。
新しい上司は電話しかしないのにこの人はなんと素敵なんだ。



手土産はフラッグシップ店の主任候補に私を指名しておいたということだった。

悪夢で笑った。(まあまず任されないだろうけれど)



候補となったフラッグシップ店というのは、今のお店の
2倍を平気で売るお店。

そんなところ行ったらまず死ぬ…
てか歴代主任に女いないし…
間違いなく出世候補にはなる…というとんでもないところ。


でも元上司は今の私と同じ年齢でそこの主任を任されている。


候補は
5人いて、ほかの人たちは優秀な人たち。

に紛れ込む一般人の私。



お偉いさんが「のっちって何年目?
4年目?若いね、もしもなったら女主任ってお店初だねハハッ」


悪夢だ。

私は目立ちたくないのだ。

私の成績は目立っていいけれど、

私の存在は空気でありたい。

みんなが誰?誰?知らない!って思うような。


秋頃受けた社内試験の結果が会社で月1で発行される冊子にも載ってしまう予定だからな。
顔写真を添付しないで感想文だけ送ってやり過ごそうとしたら
本社から催促の電話掛かってきた。

そういや夏には200人集まる会議の中でいきなり一人で発表しろと
キラーパスされたこともありました。



私は自分に自信がないし、
こんな人間を知られたくもないし、
誰かの記憶に残ってしまうのが嫌。
だから空気でありたい。

 


うーん2016年って結構濃かった。



旅も出来たし…希望だった京都と北陸には行けなかったけれど。



料理教室も通い始めたし、裁縫も出来た。


あと、絵。自分の絵大嫌いで遠ざかっていたけれど、描く楽しさってやっぱりある。


一つかなえられなかったことがあるから、それは
2017年に頑張る。


骨盤矯正行ってから体の不調が改善されたし、思考回路も昔よりはいい感じ。




でもそんな長く生きたくない気もする。人生やんなっちゃうし。

2017年もそれなりに頑張ろうっと。

 

拍手

ボーナス

ボーナスを貰いました。

弊社はボーナスそんな高くないです。でも貰えるだけ嬉しいさ。

だって独女ですもの。

年収は目標には届かず仕舞い。

少なくとも同期の中では多く貰っている分類に入りたい。

だって同じ年数働いて差がつくのは勿体ないし(仕事内容無視)

 

だって独女ですもの、誰かを当てにするようなことはしない。

一人でも生活できるよう、最低限の基盤を作らなければ…

こんなことしているから一人なんだと思う(顔面もあるけれど)

でも守るべきものも特にないのに、こんな頑張ってどうするんだろーって思う。

(自分は糞みたいな存在だと散々教えられたので構わない)

 

とうらぶ見てキャッキャウフフしている時だけが救い。

この年でホモに目覚めてしまったのでますます死

花丸のJK百合ホモが悪い。

 

っていうか最低限の基盤とか言っちゃうならこの職種はあってない気がする…ww

いや、楽しいですよお仕事。死ぬまで身を捧げます。

じゃないと生きていけないものね。

独女は大人しくしてなさいってこった。

拍手

田舎の環境と女であること

面白い話がツイッターで回ってきたので少し。

 


別に学歴とか都会とか難しいのは良く分からないしどうでもいいし自分次第なんだけれど、
環境は人を育てるということは間違いないので私の育った環境を書いてみようと思う。



あくまでメモであるし、今は怒りも悲しみもないし、同情とかいらないし、
私は十分恵まれたほうだと思うので横槍はいりません。

 


ttp://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155

 

の記事を元に、

 

ttp://anond.hatelabo.jp/20130809115823

 

という記事がRTで回ってきた。

 




この二つの記事の話は、自分にも大分覚えがある。


(学歴と高学歴という大まかな枠組みに分けるというのも気が引けるけれど、多分これが分かりやすいんだろうなとも思う。)

 




 

私は茨城の海沿いで生まれた。

父は農家兼地方公務員一族。
母は旅館の娘で親戚はインフラ系、議員、弁護士、元醬油屋とか。
お見合い結婚。
どちらの親も地主…という話も聞いたことある。(本当かどうかは知らんが)

田舎にありがちな家系だ。



金銭的には恵まれたほうだと思う。
兄は私大に行かせてもらい、国家公務員になった。
私も地元の私大を出させてもらって、今は地元の民間企業で働いている。


なんだよ随分恵まれてんじゃねーかって突っ込み。

まあその通り。


今は仕事帰りに好きなことを習いに行って、
休みの日は買い物に出掛けたり旅行に出掛けたり、結構やりたい放題。
実際人生楽しい。

でも人生が楽しいと思えたのはここ1年だけ。

小学校に上がる頃にはこの田舎の独特の雰囲気と人間関係に既に辟易していた。

 


田舎の学校に集まる人材とは、色々なものがある。

基本的に意地汚い奴らばっかり。

人のやることなすことにいちゃもんをつけて、あざ笑う。

一方で普通の家庭に育ったまともな子たちは隅っこのほうに固まる。
意地汚い奴らは田舎の世界では強い。
平気で授業妨害や学校の器物を壊しながら、勉強をすることは悪と言いふらす。
まともな子でも意地汚い奴らのグループに入らされたり、
いじめで学校生活からドロップアウトしてしまったり、酷い足の引っ張り合いばかりだった。

先生もこの年の子供たちは怖いもの無しだから手を付けられないのが分かっている。
だから授業をやめて雑談ばかりして悪いことをされてもなあなあにして、媚び始める。

小さい教室の中で、スケープゴートを決めて、
お互いがお互いをいじめたりハブきあったりして、
醜くて汚らしい世界が出来上がっていた。

私も勉強の邪魔をされて勉強は悪だと流されてしまったし、
この環境になじめないのは自分のせいだと自分を責め続けたし、
不登校になってしまった子も見てきた。

先生に相談しても適当に流される。



私はこの世界で社会不適合者になってしまった。

 


子供に環境は変えられない。


だから大人がどうにかしてやるべきなのだが、そこにも田舎特有の問題がある。

 


父は地元生まれ地元育ちで地元の公務員なのだから、そういう世界が当たり前なのである。

公立学校は絶対的であり馴染めないほうがダメ。
狭い世界だから、父の知り合いが教頭や校長として在籍している。
父の外面を考えたら、私は何が何でも普通にこの公立学校に通わなくてはいけない。

話をしようとしても、そこは田舎だから、
家族も私も知らず知らずのうちに男尊女卑、
親は絶対の影響を受けている
女で子供の私の話なんか聞いてもらえない。
一度だけどうしても勉強する環境を確保したくて私立中学受験の話をしたが一蹴りされてしまった。
要は、私立に行かれてしまったら,
「父の知り合いが働いている公立に元気に通う娘」を演出できなくなってしまうからだった。

 



父と母は焦っていたと思う。
二人は私に色々なことを習わせた。
父の職場でやっている英会話、知り合いの紹介のエレクトーン、書道、そろばん、学習塾。
しかし私が続かなかったから演出が出来なかったのである。
当時の私は空手や柔道、野球に興味があったが、
やりたいという一言に対して無数の怒りを浴びせた。

地元で巨人対西部の公式試合が開催された頃、
父と共に連れていかれる兄の後ろで、
「あなたは女だからダメ」と言われた私は家で母と共に
TVを見て過ごしていた。

帰ってきて楽しそうに思い出話をする兄を横目で、
父のツテで貰ってきたボールを転がしながら、
私は女に生まれたから当たり前なんだと思っていた。


私が中学校に上がる頃、
私はどこにも馴染めない、「産んだことが間違い」の人間になっていた。


 

環境がおかしいことに気づき始めたのは大学に上がった頃だった。

私は女性アイドルが好きで、ハロプロやAKBのファンだったけれど、
女が女のファンになるなんて…という言葉に怯えて、誰にも内緒にしていた。



大学はそれなりの人間が集まる場所である。
私が通った大学はいわゆる
Fランだったけれど、
それでも地元にいる
DQNというのは結構ふるい落とされていた。

平気で漫画やアニメを好きだと言って仲間同士で集まる、
女でも化粧やお洋服で着飾ってもいい、
嫌なことがあったらきちんと伝える…
要は好きなことは好き、嫌いなものは嫌いと主張していい。
女も男も関係ない世界だった。


でもそれは同時に私の今まで歩んできたすべてを否定するような世界だったとも思う。


私も家族も正解だと思ってやってきたことは思いっきり間違いだったのだ。


家族や周りの言うようにしてきたのに、今の私には何も残らなかった。


でも仕方ないのである。
環境がそういう環境だったから。
大学にしてようやく私はまともな教育を受けることになったのである。


(教育とは、身だしなみから人の話を聞くことから男女で差別しないことから…色々であります)

 


でも、家族からしたら私が大学で気づいたことは間違いである。


だってそうだ、
自分の父母から言われたことを信じて育って、
お見合い結婚をして、子供が生まれ、大学まで行かせた。
子供は愚痴一つ言わなくなりまともに育った。

どこに不正解があるか?
話せば分かり合えるなんて世界なんかない。
女や子供が意見に反対するのは絶対ダメだし、
着飾ることもダメ、女は家庭にいるべき、男は絶対女よりも頭が良い。
おじいさんおばあさんが言うことは物知りで本当のこと。くそくらえででたらめだ。

 


幸運なことに私が就職した会社の環境はとても良く、
社会人になった私は色々な年代の男女から色々なことを学べた。
仕事のやりがいから愚痴から、人間関係から趣味から家族の話から。



私は胸を張って好きなことは好きと伝えられるようになった。

趣味がアイドルって言ってもそんなに非難されない。
野球観戦は気の合う女同士で行く。
美術館巡りとか何それ変な趣味って笑われない。
自分のやりたいことをやればいいらしいから、私は料理を習いはじめた。
何かわからないことがあればネットで調べるようになった。
自分の行ける範囲にお店が無いときはネットショッピングを使って、
面白いものを入手出来るようになった。

世の中はこんなに広くて、自由に生きていい。

 


なんとか死ぬまでにこの違和感に気づけた私は運が良かった。
気づかなかったら死ぬまで自分が産まれたことを呪っていただろう

環境は大人が作るべきだし、子供を絶望させてはいけない。
金を出したから家族の関係性が成り立つものでもない。
男女で差があるのは身体的と極一部の思考回路だけ。




でも、環境が整っていても遺伝というものがある。



母は「私は親から女ということで差別されたから、子供には自由にしてやりたい」
とニコニコ言いながら全く同じことを私にする。
これは環境か、遺伝か?


多分遺伝なんだろうなと思う。
なんとなくだけれど、当たっている気がする。


遺伝だったら…私は汚いままであるし、子供は産めない。
同じことをしたくない。家族を作れる気がしない。
同じことをまた繰り返すのか?やめようよこんなこと。

拍手

笑うブスには福来たらない

人生で初めて鏡を見たときのことを覚えていますか?


私は覚えています。開口第一「あ、ブスだ。」と。








その瞬間、私と私の顔面の戦いは始まったのです。

 






一重で目が細く、鼻は上向きの大きい団子鼻。唇はぷっくり…ではなくただのタラコ唇。

ハゲる心配はないが剛毛すぎる眉毛と髪の毛。


そんな私のパーツのお皿になる「色白」はもはや「不健康、病的」であり7難どころかブスの手助けをしてくれる始末。

 



男になったことがないのでそちらのほうはどうだかわからないが、とにかく女のブスっていうのは生きづらい。


女というものは生まれた瞬間から他人との美競争を繰り広げているのだ。
保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人になっていても…



お互いのことを顔の良さ悪さで判断し、僻み、足を引っ張り、悪口を言いながら、男を捕まえて…


男もまた同様に、「顔は良くなくても、性格がよければ」って言いながら、無意識的に頭の中でブスを省く。





でも、それは仕方のないことだ。
だってスーパーに買い物に行くとき、同じ種類のお惣菜が並べられていたら、より綺麗な出来栄えのお惣菜を選ぶ。

 

 

特に勉強が出来る訳でもなく、スポーツが出来る訳でもなく。

そこへ持ってきてのブス。



小学校も中盤の頃、同年代のかわいい子たちがお洒落に目覚めて、雑誌で見たような可愛いワンピースやカーディガン、スカートを着こなす中、私はジャスコで買ったTシャツにジーパン、髪の毛はボサボサで女なのか判断しかねる容姿であった。


親も「子供からお洒落なんて言語道断」「というかお前みたいな顔にお洒落って生意気」という感じだったので、身だしなみという知識は全く育たなかった。


10代の頃は若さでなんとかなるというが、こうなっていてはなんともならない。




クラスのかわいい子が色々な人の容姿をネタに笑い転げ、
何かの科目で目立った私に対しても「でもブスだから」と影口を言う中、
私は大人になったら少しはきれいになれるのかなと呑気に考えていた。



結局私は大学生になってもブスだった。

 



けれど、2つ気づいたことがあった。

「私はブスだから誰からも選ばれない。」

将来の夢はお嫁さん、と作文に鉛筆を走らす可愛い女の子を横に私は思った。



「私はブスだから一人で生きなければならなかったのに、勉強しなかったな」

大学進学時と就職活動のとき、クラスの女の子たちが自分の道についてワイワイしているときに私は思った。

 



社会人になって、目まぐるしく環境が変わって、仕事で一定の成果を得られたとき、もう1つ気づいた。


「ブスのせいにするのはやめよう」



社会人になって初めて顔が関係ないところで評価を受けた。それまではどうしても「でもブスだから」という理由で評価が下げられていた気がする。

 


…気がする?

 


もしかして、自分がブスということを盾にして、
可能性を信じず、言い訳ばかりして、努力を怠ってきたのではないか。


ブスだから評価を受けない、だなんて言いながら、ロクなことをしてこなかったんじゃないか。




普通の人が通る、自分を信じて勉強して、
目標を見つけて、失敗してもいいから色々な服を買って、
化粧をして、人と恋愛をして、そうやって生きることをしなかった。




「でもブスだから」っていうのは、
そういうことをしなかった自分への継続的な罰だったのではないか。
(だいぶ理不尽な罰だけれども)




 

長い長い罰から目覚めた私は、毎月の給料やボーナスを自分に突っ込み始めた。


まだ幸い私は20代だ。もちろん独身実家暮らし。貯金をすることもできる。




まずボサボサの髪の毛をパーマとトリートメントで綺麗に直した。

次に手足のムダ毛を医療用レーザーで脱毛をした。

洋服は古いものをバンバン捨て、自分に似合うものを試行錯誤した。
ついでに部屋が綺麗になったので部屋のインテリアもガラっと変えた。

睫毛は睫毛パーマを当て、いつでも上がった状態になるようにした。

化粧品を集めるため、デパートや駅ビルを歩き回っては店員さんにしどろもどろになりながら質問をした。

姿勢を整えるため、骨盤矯正にも通い始めた。
施行後には背筋が綺麗になっていた。

出来るだけ笑顔でいようと思った。
人の話をよく聞き、ポジティブなことを口に出すようにした。






それでも出来上がったのは、ブスだった。

結局顔の造形は変えられないのである。

少しは良くなったとはいえ、元のパーツがブスなので、ブスのままだった。

 





私は一つ気づいた。




「ブスはブスのままだ」






人から認められたい気持ちもあった。
モテたい訳ではなく、可愛いね綺麗だねって言われること。
可愛い人や綺麗な人になりたかった。


しかし自己投資をしてから、目に見える風景が大分カラフルになった気がする。
人や建物の線はこんなにもシャープで、色が華やかなのだ。



どうせブスのままだけれども、これもまあ、いいんじゃないのかなあ。

笑わないブスより笑っていたほうが、
まあブスだけど、頑張って生きられるんじゃないかな。

大分楽になった気がする。





 

女はいつでも自分と、周りとの戦いだ。

でもこの戦いから降りた私は、ちょっと楽をしながら将来への近道を歩いている。


ブスだけど。

拍手

        
  • 1
  • 2
  • 3